”理系”が書くエッセイとは。森博嗣「つぶさにミルフィーユ」

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「考え方」や「文体」を学ぶのに、エッセイはとても適した参考書です。

僕は毎日寝る前に1ページだけ、本を読むようにしています。この「1ページだけ」というハードルの低さがちょうど良く、疲れていて眠たくても1ページなら踏破できるし、まだ元気で内容が面白ければ2ページ、3ページとするりと読み進められる。この習慣のおかげで月に1回は枕元の単行本を新しいものに入れ替えることができています。

入眠前のお供として僕が選びやすい傾向にあるのは「エッセイ」と呼ばれるジャンルの、短い文章が詰まった本。一話単位が完結していて文量も少ないので寝る前の5分、10分という時間で読みやすいというのもありますが、それ以上に、文章を書くための勉強としてエッセイというのは有用だと思っているから。

2〜3ページの中に文章としての「起承転結」があり、作者の「考え方」そのものが詰まっている。これだけ密度の濃い文章は他にそうそうありません。それが一冊に数十本とまとめられているのだから、文章を書くための参考書として役に立たない訳がないでしょう。

受験参考書の一問一答のように、作者の文章の組み立て方や文体を何度も反復して体験することができる。普通の楽しみ方とはちょっと外れているかもしれませんが、それが僕の「エッセイ」を読む理由です。

森博嗣「つぶさにミルフィーユ」

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最近読み終わったのは、ミステリー作家としての顔が有名であろう文筆家「森博嗣(もりひろし)」さんのエッセイ「つぶさにミルフィーユ」という作品。

bottleshipというブログの主が読んでいるところを見かけ、彼が読了した後に貸してもらったエッセイです。「すべてがFになる」と「スカイ・クロラシリーズ」を以前読んだことがあり森博嗣という作家さんには少しだけ馴染みがありました。その2作から、森博嗣さんは理知的で構造的な、いわゆる”理系”っぽい文章を書く作家さんという印象を受けていたので、その人がどんな「エッセイ」を書いているのか気になったというのが、この本を貸してもらった理由の一つ。

そしてもう一つの理由は「つぶさにミルフィーユ」という森博嗣らしからぬ可愛らしいタイトルと、本の装丁にやられてしまったから。「つぶさにミルフィーユ」。語感も語呂も素晴らしい。

「ちょっと読ませて」とパラパラパラと本を捲ってみると、

・「諧謔を弄する」なんて言われても、首が捻挫するだけ。
・「お気持ち」は、「お考え」ではない。
・情報は死んでいる。
・論理と理論はどう違うのか。

と、クセが強そうな興味を惹かれるタイトルばかりがずらっと並んでいてあっという間に「森博嗣」ワールドへと引き込まれてしまいました。

2ページの起承転結が100本

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この本の中には森博嗣さんの日々の考えが書かれたエッセイが切りよく100本詰め込まれています。そしてどの話も見開き2ページで完結するようにピタッと文字数が合わされています。元々理系出身の森博嗣さんらしい、実に几帳面な本の構成。

驚くべきは、その2ページという制限の中で小さな「起承転結」をきちんと成立させてくるという点。「引きのあるタイトル」「テーマの説明」「実例」と並べてきて、きちんと最後にウィットに富んだ小気味良い一文で落としてくる。それが100本分量産されて一冊の本に。

文中で本人が「自分は国語が苦手だ」と仰っていて、最初はまたまた謙遜を、と思ったったのですが読み進めていくと言い得て妙、というか確かにこれは「国語」というよりも「数学」に近い文章だなと感じました。

主題に対し、「論理的」に語るための「理論」が確立された文章。「感性」ではなく「方程式」で書かれたような、緻密に組み上げられたエッセイです。

短くまとめられたエッセンス

僕がエッセイを読む際、良いなと思った文章に出会った時は、言葉にして読み上げて、音声入力でメモを撮るようにしています。

寝る前にスマホの明るい画面を見ずに済みますし、文章を声に出すことによって言葉のリズムも自分のものにして味わうことができます。主体的に読み上げることによって、文章の意味もより深く理解できる。この記事にとっては余談の内容ですが、是非お試しください。僕の記事も音読してくれてもいいんですよ。

そのような方法で、僕がこの本の中で気になったエッセイのタイトルと抜粋をいくつか載せておきますので、どんな本なのかイメージを膨らませてもらえると嬉しいです。

同じ本を読んでも、同じものを食べても、同じ人間にはならない。

『人は、ついデータを忘れることがあるけれど、歩くことも、美味しい味も、楽しくて笑うことも、うっかり忘れることはない。それらはデータではないから失われない。それが、味を知っているということ、楽しさを知っているということ、つまり教養なのである。』

個別のデータではなく、その積み重ねによる一連の経験が教養として残るという話。知識と教養は違うものなんですね。

「できない」と「やりたくない」はほぼ同じ。

『朝、目が覚めて、眠くて起きたくない。約束があるけれど、この気持ち良い布団の中で眠り続けることに比べれば、つまらない約束だ。そうなると、もう「起きられない」状態といえる。既に「起きたくない」との違いはまったくない。両者は同じ意味になる。』

とても分かる。

人は、損得を考えずに本気になることはないように観察される。

『僕は、自分だけ得をする、が浅ましいというならば、自分だけ損をしたくない、も同じくらい浅ましいと感じるのだが、いかがだろうか。どんなものも、各自の選択によって得することもあれば、損することもある。自分の行動がもたらす結果を自分で受けるというのは当たり前の話だ。いけないと言っているのではない。それなら、自分ひとりだけ得をしようとする行為を非難しないほうが良い、という意味である。』

ミニオンズというらしいものが僕の周りに集まっている。

『たまたま見かけて、気に入ったので買った小さなフィギュアがあった。黄色いオバQみたいなキャラクタで一つ目で、水中メガネをかけている。そうか目が一つだと、水中メガネもこんなシンプルな形状になるのだな、円柱と円柱の重なる曲線はどんな式になるだろう、などと想像した。これがミニオンズという名前だと知るのは一年後くらいだ。』

実に森博嗣さんらしい理系的発想。

ここへ来てよかった、という肯定こそ、幸せの手法である。

『幸せというのは、このように小さなものを見つけて拾い上げることだ。いつも探していれば、どこにでも落ちている。探さなければ見つからない。見つからないから、自分が不幸せだと思いこむ人が多いように見受けられる。後悔というのは、過去にまで遡って、不幸せを探しているようなものだから、幸不幸どちらも、結局は本人が探して見つけているという点では同じだ。歩いているのは、誰でも一本道。そこに落ちているものも大差はない。拾い上げる目と手が違っているだけである。』

この本の中で一番響いたのはこの箇所。

森博嗣さんのエッセイはどれも理知的で論理的で、それでいてポジティブなのがとても好き。なんとなくふんわりと良い事を言ってるのではなく、きちんと筋道立てて分解して「ポジティブ」を説明してくれるので納得するし、読んでいて明るくなれます。

エッセイは人の頭の中身。

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エッセイ本というのは人の考えが小さくたくさん詰まった、その作者の分身のようなもの。

「つぶさにミルフィーユ」を読んでみると「小説家」としての森博嗣さんとは全く違ったイメージの文章が書かれていて嬉しくなりました。エッセンスは確かに同様のものを感じるものの、小説とエッセイは大きく異なります。エッセイのほうがより深く直接的にその人の考え方や感性に触れることができる。その触れ合いが楽しくて僕は毎晩エッセイを1ページだけ、読むようにしています。

読了後によく調べてみると、このエッセイは「クリームシリーズ」という森博嗣さんのエッセイシリーズの最新作とのこと。「つぶさにミルフィーユ」がとてもよかったので、他のシリーズも味見してみたいと思います。

良い本すぎて、借り物なのにたくさんドッグイヤー(ページの端を折り返して目印にすること)を沢山付けちゃいました。持ち主にはこの場を借りて謝っておきます。(見てる?

関連:たくさんの人の感性に触れよう。

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今回の記事のように、これまで僕が読んできてためになったエッセイを関連として最後にご紹介。

一つ目は、ついついクスりとしてしまう、ジェーン・スーさんのマッサージ店のレビュー本。

カジュアルなレビューの文体を学ぶ。ジェーン・スーさんの「今夜もカネで解決だ」

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そしてもう一つは僕のルーツとも言える松浦弥太郎さんの「今日もていねいに。」という一冊。

松浦弥太郎さんの「今日もていねいに。」僕の暮らしと思考の原点。

今回の記事が気になったら合わせて是非。

ホーリーはこう思うよ。
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僕が書いた「人生を変えるモノ選びのルール」も同じく見開きで終わるくらいの文量に1話をまとめてますが、なかなかぴったりさせるのは難しくはみ出てしまうところもたくさんありました。やはり森博嗣さんはすごい。

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