コーヒーは大人の味、だった。 – 珈琲とわたし –

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    2017/08/23

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コーヒーは大人の味だ。

幼い頃の僕はそんな風に思っていた。香り立つ豆の匂いと舌を刺すような苦味がどうにも刺激的で、コーラやファンタやメロンソーダばかりを好んで飲む子供だった。

僕の父はコーヒーが好きだった。

好きと言っても飲むのは専ら仕事中で、自販機で買える缶のコーヒーを飲んでいた。父の仕事は大きなトラックや重機を運転したり、精密な図面を引いたりすることが多いので人一倍集中力が必要だったのだと思う。仕事へ打ち込むための飲み物としてコーヒーをよく飲んでいた。なので僕の中でコーヒーは「大人」の象徴でもあり「仕事」の抽象でもあった。

時が経ち、自然と僕もコーヒーを飲むようになった。

きっかけははっきりとは覚えていないが、おそらくスターバックスによるところの功績が大きいのだと思う。勉強の傍らカフェオレを飲むようになり、社会人になると格好を付けてブラックコーヒーを飲むようになった。今では気づけばほとんど毎日、コーヒーを飲んでいる。

最近では周りの影響もあり、自分で豆を選んで挽いてもらいペーパードリップで見様見真似ながらも一人でコーヒーを淹れられるようにまでなってしまっている。小さな頃の僕が見たら驚きを隠せないだろうと思う。だけど安心してほしい。まだちゃんとコーラもファンタもメロンソーダも大好きだから。

コーヒー豆に湯を注ぎ、香ばしい匂いを嗅ぐと今でも父の背中を思い出す。あの頃泥だらけになりながらも笑顔でコーヒーを飲んでいた父の背中はとても広く、大きかった。僕の中での「大人」そのものだった。ふと考えがよぎる。僕は今、コーヒーを飲むようになったが、果たして父と同じ大きな「大人の背中」をしているだろうか。

僕も今年で27歳になる。社会の中ではまだまだ若手かもしれないが年齢で言えば立派な「大人」であることに間違いはない。それなのにまだ僕は自分が「大人」である自覚がない。驚くほどに、全くと言っていいほど、ない。「コーヒーを飲む」ということは大人の象徴であったはずなのに僕はまだ子供のまま、コーヒーを飲んでいる。

考えてみれば当たり前の話で、僕はこれまで何一つ不自由ない人生を歩いてきた。傷も責任も負わない甘いだけのカフェオレのような人生だ。「大人」というものは年を重ねればなれるものではなく、人生の厳しさや苦味を味わって初めてなれるもの。それが今の僕の「大人」の考え方。

だからこそまだ大人になりきれていない僕は、もっとコーヒーを飲まなくてはいけない。コーヒーを飲んで、仕事をする。辛いことがあるかもしれないけれど、笑顔で乗り越える。そうしていつか、僕の父のようなコクのある背中を持った「大人」になりたい。そう思いながらまた一杯、コーヒーをすする。

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思い起こしてみれば父が好んで飲んでいたのはジョージアのエメラルドマウンテンでした。気が向いて買ってみたらびっくりするほど甘くて、思わず笑ってしまいました。

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