人を裁くのは誰なのか。答の無い問いを突き付けられる『藁の楯』|感想・レビュー
先日遅ればせながら映画『藁の楯』を鑑賞して来ました。
大沢たかおと藤原竜也を目当てで観たのですが、鑑賞後にはとても「もやもや」とした感情が。これは良い映画の手応えです。感想を書いてみたので良ければご覧下さい。ネタバレ多いのでご注意を。
『藁の楯』あらすじ
「この男を殺して下さい。名前・清丸国秀。お礼として10億円お支払いします。」という衝撃的な広告が全国の主要な新聞に一斉に掲載された。掲載主は政財界の大物・蜷川で、自分の愛しい孫娘を殺した清丸の首に懸賞金をかけたのだ。
これに恐れをなした清丸は逃亡先の福岡で自首、警視庁は彼の身柄を48時間以内に東京に護送すべく、銘苅・白岩など5人の精鋭を護衛に付け、護送を開始する。しかし、清丸への憎悪と懸賞金に目がくらんだ一般市民だけでなく、警察官・機動隊員までもが護送を妨害しようとする。(wikipediaより抜粋)
誰が人を裁くのか。
やはり光るのが大沢たかおと藤原竜也の演技。どちらも素晴らしいものを観せてもらいました。藤原竜也はいつもの感じだったけども。
藤原竜也演じる『清丸』という役が明らかに常軌を逸しているクズの中のクズのような人間で『なぜこいつを命を懸けて守らなければいけないのか?』と観ている僕も思わされてしまいまいした。最近良く題材にされる「サイコパス」のような人間ですね。さすが藤原竜也。こういう役は板についてます。劇中何度も「もうこいつ殺してもいいんじゃないか、いや殺したほうが世のためなんじゃないか?」という問が出てきます。それでも大沢たかお演じる銘苅警部補は絶対に清丸を殺さない。信頼した部下が殺されても、自分が護った本人に刺されても、亡き妻を貶されても。
劇中後半で銘苅警部補は清丸を正式に殺す権利を手にしますが、やはりそれでも彼は清丸を殺しません。どのみち法によって彼は殺されるのに。銘苅は誰よりも清丸を殺したいはずなのに最後まで自分の信念を貫き通して彼を警視庁まで連行します。素晴らしい人間です。男としても尊敬します。
”銘苅警部補”は存在するのだろうか。
ですが同時に「これはやはりフィクションだな」という少しがっかりした気持ちにもなってしまった。
先に言っておくと今作「藁の楯」は「リアリティ」という面に関しては薄い映画でした。いくら10億円もらえるからといって罪に問われるのにあれだけ多くの人間が殺人を犯そうとするとは到底思えません。清丸(藤原竜也)の護送手段もありえないものばかり。今作『藁の楯』はエンターテイメント色を重視したフィクションだと割りきって観たほうが抵抗なく楽しめるでしょう。
その中でも一番現実味を感じられなかったのが主人公、銘苅警部補の存在。彼は本当に素晴らしい男です。だが果たして、彼のような人間が現実に存在するのでしょうか。もし彼のような状況に置かれたらきっと誰もが職務を放棄するか、清丸を殺してしまっているでしょう。彼のように最後まで信念を貫き通し、自分を抑えて任務を全うできる人間はきっと存在しない。
しかしそう思ってしまったからこそ銘苅警部補に惹きつけられるというのまた事実。ヒーローとは常人とかけ離れていれば離れているほど輝きます。”正義の味方”というのはきっと彼の事を指す言葉です。大沢たかおが本当にはまり役でまた一層好きになってしまいました。
答えのない問を突き付けられる
今作「藁の楯」は決して後味の良い映画ではありません。気持ちがスカッと晴れることもありません。鑑賞後にはもやもやとしたドロドロとした感情が渦巻くでしょう。ですが、この「もやもや」とか「ドロドロ」が良い映画の証でもあると思っています。しばらく「なぜ清丸をあそこで殺さなかったのか」「そもそも人を裁くのは誰なのか」「法が無かったら人を殺しても良いのか」という答えの無い問いがぐるぐると頭の中で回ります。きっとこれらの問いには正確な答えなどありません。ですが、それについて考えるということが大切なのではないでしょうか。普段考えることの少ない難問ですが、この機会に一度立ち止まって思考を深めてみようと思います。
PITE.(@infoNumber333)