ただ一人の「野球の王」の運命を描く。伊坂幸太郎「あるキング」の感想・レビューです。
*この記事は9月21日に書いた記事です。
サワディーカップ!PITE.です!
今日(21日)はiPhone5をゲットしたその足で飛行機に乗ってタイに向かっています。
上海で乗り換えて、今はバンコク行きの飛行機の中でこの記事を書いているところです。
移動時間が長いのでこの機会にためていた本を消化しようと思い、ずっと前から買っては読んでいなかった伊坂幸太郎の「あるキング」を持ってきました。そして乗り換え前に読み終わってしまったのでそのままの勢いで記事にしておこうかと。ちなみにもう1冊はiOSプログラミングの本を持って来ました。重い…(泣)
野球の神に愛された天才「王求」
”王が求め、王に求められるように”と名付けられた一人の少年、山田王求。
生まれながらに野球の神に愛された彼は、「王」としての人生を歩んでいくことになる。
そう、王としての「運命」を。
たくさんの人の偶然が重なって「運命」になる。
この作品「あるキング」は「王求」がこの世に生まれてから(正確には生まれる前から)の彼の人生を第三者が語っていくという形式になっています。各章は「王求」の小学時代、中学時代、など彼の成長にしたがってわけられていて、章ごとに1人(または2人)、「王求」の人生に影響を与えることになる人物を中心に物語が描かれます。「王求」という軸を中心とした群像劇、という感じでしょうか。実に伊坂幸太郎らしい作品です。
「あるキング」では伊坂幸太郎の作品によく見られる「小さな偶然が重なりあって大きなストーリーを動かしていく」という流れが描かれています。一見関係のないように見える「人」「物」の行動が全体で見ると一つの結果に向かって収束していく。「偶然は必然であり、逆もまたしかり」。実際僕もそうだと思っています。きっと偶然が積み重なってできるのが運命なんじゃないでしょうか。
今日昼にチーズバーガーを食べるか、ベーコンレタスバーガーを食べるか。これも僕の運命を決める重要な選択肢の一つに違いありません。
ジャンルで分けるならば、「ファンタジー」。
伊坂幸太郎の作品の中には時々「超能力者」だったり「スゴ腕の殺し屋」、「しゃべるカカシ」のようなちょっと現実から離れたキャラクターがしばしば登場します。「死神の精度」という「死神」が主人公というかなりファンタジー色が濃い目の作品もあります。
今回の「あるキング」も話自体は1人の野球選手の物語ですが、ジャンルとしては同じようにファンタジーに分類してもいいくらいの物語なんじゃないかと思いました。(ファンタジーの定義がよくわからんけども)
主人公「王求」は生まれながらにして「王」として生きることを宿命付けられており、彼の生きる道は何者か得体のしれない存在によって決められています。その「何か」は最後まで名言はされません。「神の意志」や「輪廻」などいろいろな解釈ができると思いますが、その決められた「運命」を全うするのが彼の人生でした。「王求」はよくある「自分の持つ才能ゆえの苦悩」とか「自分の力を過信してその力に溺れる」なんていう、「いかにも主人公」のような行動は取りません。ただ、ひたすらに、それが当たり前かのように自分の道を進んでいきます。そんな人間離れしているとも言える彼の姿もまた、「死神」と同じくらいファンタジーな存在だと言えるのではないでしょうか。(ファンタジーの定義がよくわからんけども)
感想
伊坂幸太郎の中ではちょっと珍しい部類に入る作品だと思いますが基本的な仕組みみたいのはやっぱり変わりません。多彩な、個性あるキャラクターがストーリーを組み上げていきます。とりあえず野球のルールだけなんとなくわかっていれば楽しめる作品なんじゃないでしょうか。ちょっと切り口の違う伊坂幸太郎が読みたければオススメだと思います。
さて、ちょうどいい所でそろそろバンコクに着きそうです。
PITE.